同局は本紙の取材に「上沼さんとの話し合いの内容の詳細は答えられない。終了を決めたのは関西テレビです」と答えた。

テレビ業界の通例なら早くても10月の改編期で番組を切り替えるケースが多いが、不祥事でもないのに突然の幕引きという前代未聞の顛末(てんまつ)。
複数の関係者によると、問題の発端は梶原の降板騒動とみられる。梶原の態度が気に入らず、上沼が収録中に罵倒。
その場面はお蔵入りとなり、梶原は上沼のラジオ番組のレギュラーも含めて降板を申し出た。
そこで上沼は騒動後、同局側に「番組をもっと良くしたい。改めるところがあったら何でも言ってほしい」と提案。

これが“導火線”となった。


同局側が上沼と話し合いの場を持ち、現場スタッフらの意見を伝えたところ、「そこまで言われるなら辞めてやる」と逆ギレ。
局側は9月末での卒業を打診したものの、上沼の出演拒否により24日放送で終了することが突如、決まったとみられる。

上沼にとっては長きにわたって担当していた女性マネジャーが5月末に辞めたことも大きい。
「これまでは、そのマネジャーがクッションのような役割を果たしていた。上沼さんは“コロナ鬱(うつ)”と言ってましたが、最近は精神的にも落ち込んでいた。その中で直接本人が対応することになって悲劇につながった」(演芸関係者)。
同局の幹部も代替わりしており、これまでのように意思疎通が図れなかったことも一因とみられる。