戦中、大日本帝国軍部のトップ連中は部下の死体の数の多さを競った。
それが彼らの勲章であり、出世の条件のひとつでもあった。

一人でも多くの部下を殺す為に「勇ましく逝ってこい!靖国に祀ってやる!お国の為に安心して逝ってこい!」と前線に送り出した。
上官どもの出世競争の為に若い兵士は戦地に送り出されて殺された。

後年、多くの部下を前線に送り出して、己はのうのうと戦後を恩給で過ごした上官の多くは仏教徒だったともいう。
自分自身は「あんなカルト神社には死んでも祀られたくない。あんなのは神でも宗教でもない。靖国なんてのは子供騙しの遊戯だ。
陛下御自身が己を人間だと仰っているのにその陛下を神に祭り上げた時点でこの戦は既に負けていた。」と言ってたらしい。