当時、自民党で中曽根派は弱小勢力に過ぎず、総裁選に勝つには他派閥、それも最大の数を誇る田中角栄元総理の
田中派の協力が不可欠だった。このため鈴木退陣後にすぐ田中の支持を取りつけたのだが、それは中曽根を「風見鶏」
と嫌う議員たちの反発も呼んだ。

 その筆頭が田中派幹部の金丸信で、田中元総理の秘書だった早坂茂三は著書でこう振り返っている。

「『オヤジの意向は中曾根らしい』と聞き、反対派を代表して金丸信がボスに直談判(じかだんぱん)した。
『あれは寝首(ねくび)を掻(か)く男ですよ。信用できない』、『ほかにいないじゃないか。心配するな。中曾根は
ボロみこしだ。悪さをしたら放り出せばいい』。この後、金丸が私に笑って、こぼした。『オヤジが白だと言えば、
黒でも白だもなあ。これが派閥だ』」(『オヤジの知恵』集英社インターナショナル)

 その中曽根も党内の自分の基盤が脆いのを十分承知していたようだ。総理の生殺与奪の権を握る田中派に対抗するには
外部からの、それも強力な支援が必要であった。シグールの昼食会の報告を続ける。

「中曽根は政権発足後、できるだけ早くワシントンを訪れてレーガン大統領と個人的関係を築きたいとし、(来年の)
1月10日から20日の間を希望した。また貿易と防衛問題が日米関係を阻害している事も認識しているという」

「レーガン大統領から祝意の電話を入れさせようかと伝えると、中曽根はその心遣いに心から感謝の意を表し、首班指名を
待たずに自民党総裁選後でも結構だと語った。その際は単なる祝辞で終わらせず日米関係で本質的な議論をしたい意向だ」

「中曽根は防衛分野で日米は共同歩調を取るべきだとし、『日本も相応の負担を担うべきだ』と語った」