中曽根康弘元首相を偲ぶ レーガン大統領が署名した「最高機密文書」で読み解く日米関係
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/12011103/

 82年10月12日、当時の鈴木善幸総理が突如、退陣を表明した。自民党の総務会長を長く務めた鈴木は調整型の政治家として
知られたが、外交は不得手でもあった。前年の日米首脳会談後には日米同盟に軍事的意味合いはないと発言し、外務大臣が
引責辞任する事態にまで発展している。

 後継者に熱い視線が注がれる中で手を挙げたのは鈴木内閣の中曽根行政管理庁長官、河本敏夫経済企画庁長官、安倍晋太郎
通商産業相、そして中川一郎科学技術庁長官の4人だった。党員、党友による予備選挙の実施は11月24日と決まり、各候補の
派閥は猛烈な支持獲得合戦を続けていた。

「総理に選ばれるコンセンサスはできている」

 その最中の11月18日、ホワイトハウスのNSC(国家安全保障会議)でアジア担当部長を務めるガストン・シグールが来日し、
中曽根と昼食を共にした。NSCは大統領直属の機関で安全保障政策の立案や情報収集を行い、国務省や国防総省、CIA
(中央情報局)などとの調整を担う。そのシグールは大学時代に日本史の博士号を取得し、長年アジア財団の幹部を務めて
極東地域を熟知する専門家だった。彼は食事を取りながらポスト鈴木の動きを探ったが、翌日、駐日米国大使館からワシントンに
送られた報告が手元にある。

「中曽根によると、日本では来週彼が自民党総裁と次期総理に選ばれるコンセンサスができているという」

「予備選では『皆、私が勝つと言ってくれている』とし、25日の自民党総裁選と26日の国会での首班指名選挙で十分な票を獲得
できる事を認めた。その自信を誇示するかのように中曽根は総理就任前だがすでに自民党と内閣の重要人事を決めていた。派閥間の
バランスに配慮するのは難しいと言いつつ、その過程を楽しんでもいた」