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すなわち、動物がわれわれ人間と共有しており、人間の本性と動物の本性が一体
であることを立証するすべての自然的機能、たとえば飲食・妊娠・出生・脂肪・死体などを、動物の場
合、人間におけるのとはまったく別の言葉で言いあらわすのである。これはまことに卑劣な策略だ。と
ころでこのような根本的誤謬は、無からの創造ということから出てくるのだ。犬を売る商人でさえ、そ
の手がけた動物を手放すときには、「かわいがってやってください」というとりなしの言葉をつけ加え
るのに、創世記・第一章および第九章によれば、造物主は、そういうとりなしはいっさい抜きに、まっ
たく事物同然に、あらゆる動物を人間にゆだねるのである。それも人間が動物どもを支配するように、
つまり人間が自分の好き勝手なことを動物に加えていいというのである。さらに第二章では、造物主は
人間を動物学の筆頭教授に任命し、これからさき動物たちのもつべき名称をそれぞれの動物にあたえる
ように委嘱する。これこそまさに動物が人間に完全に依存しているということ、すなわち動物がなんら
権利をもたないということの象徴にほかならぬ。――聖なるガンジスの流れよ! われわれの種族の母
よ! こういう造語がわたしに及ぼす影響は、べとつくアスファルトやユダヤ的悪臭のごときものがあ
るのだ! これというのも、動物を人間の好き勝手に使える製品のように見るユダヤ的見解のせいだ。
しかしその影響は残念ながら現代にも及んでいることが感じられる。というのは、これらの物語がキリ
スト教に移行したからだ。だからキリスト教の道徳がこの世で最も完全なものだなどと吹聴すること
は断然やめるべきだ。じっさい、キリスト教の道徳がその掟を人間だけに限って、動物界全体をなん
の権利ももたないものとして放置していることは、ひとつの大きな欠陥であり、本質的に不完全な点で
ある。だから粗暴・冷酷な、ときには野獣にも負けぬような大多数の人間どもから動物を守るために
は、警察が宗教の役割を代行せざるをえぬのであり、それだけではじゅうぶんでないため、現今ではヨ
―ロッパやアメリカのいたるところで、動物愛護協会などが結成されているしまつだ。