これに反し情熱の強さの度合いとなると、情熱が個性的になればなるほど、すなわち、愛されている個人
が その容姿のはしばしや性質やこれらすべてのおかげで、愛している個人の希望と独自の個性によるぬ
きさしならぬ欲望とを満足させるのに適した唯一の者であればあるほど、ますます大きくなる。ところで
このさい何が重要であるかは、われわれにこれから順次明らかになろう。恋愛の執着心は、まず第一に
そして本質的に健康と力と美に、したがってまた若さに向けられている。というのは、意思はまっさき
にすべての個性の基礎である人類の種族的性格を具現することを要求するからである。卑俗な色恋ざた
はそれ以上には出ない。つぎにいっそう特殊な要求がこれに結びつく。われわれはあとでこれらの要求
を詳細に研究しようと思うが、情熱は、これらの要求が満足される見込みのあるときに高まるのである。
しかし熱情のなかで最も激しいものは、二人の個性がたがいに調和しており、そのために父親の意思す
なわち性格と母親の知性とがその結合によってほかならぬもの、意思が憧憬を感じている個体を完成し
うる場合に生ずるのであって、その個体こそ、全種族のうちに具現されている生への意思一般が種族の
規模にふさわしい、したがって死すべき人の子の心情の規模を超えた憧憬を覚える当のものであり、ま
たこの憧憬の動機も個人の知性の範囲を超えている。これがすなわち、真の偉大な熱情の魂である。
――ところで、二つの個体相互の調和が、のちに考察すべきじつにさまざまな点のどの点においても完
全なものであればあるほど、彼らのあいだの熱情はますます強くなる。まったく同等な個体というもの
は存在しないから、特定の男性にたいしてはそれぞれ特定の女性が――つねに生まれるべき者に関して
――最も完全に適応していなければならない。こういう男女が出会う偶然というものが非常にまれであ
るように、真に情熱的な恋愛も非常にまれである。しかしこういう恋愛の可能性はだれのうちにも存在
しているのであって、だからこそ詩人の作品における恋愛の描写がわれわれにも理解されるのである。