ここで論じた愛の形而上学全体は、わたしの形而上学一般と密接に結びついており、これがわたしの
形而上学一般を逆に解明してくれる光を与えるのであるが、その点について要約すれば次のとおりであ
る。

 明らかにされたことは、性愛を満足させるために行なわれるのは無数の段階を経て強烈な線愛にまで
高まる慎重な選択であるが、この選択が、人間がきたるべき世代の特殊な、個人的な素質にたいして払
うきわめて真剣な関心にもとづくものであるということである。ところでこのきわめて注目すべき関心
は、まえの諸章で明らかにせられた二つの真理を確証する。一、人間の本質自体の不壊性であって、こ
の本質は、かのきたるべき世代のうちに生きつづける。というのは、反省やもくろみからではなく、わ
れわれの本質の最も内奥に潜む傾向と衝動から生ずるあのように激しい、熱心な関心は、もし人間が絶
体にはかないものであり、この人間と実際にまた徹底的に異なった世代があだ時間的に彼のあとにつづ
くものであるとしたら、これほどまでに執拗に存在し、人間にたいしこれほど強力な威力をふるうこと
もできないであろうからである。ニ、人間の本質自体は個体よりも種族のうちに宿るということである。
というのは、種族の特殊な素質に寄せるあの関心は、ごく移り気な好みからきわめて真剣な激情にまで
及ぶすべての恋愛事件の根底をなすものであるが、この関心が、だれにとってもほんらい最も重要な事
柄であり、その成否が最も敏感に人の心を動かすからである。だからこそ、それはとくに心情の問題と
よばれるのである。じじつまたこの関心が強く決定的に表明せられた場合には、単に自己一身にかかわ
るものであることを証明するのである。