両親の忠告を聞かず、金持でしかも老人でもない男の求婚を拒絶し、便
宜上の顧慮をすべて無視してひたすら自分の個人的な好みにしたがって選択する少女は、自分個人の幸
福を種族の犠牲にするのである。しかしまさにそのためにわれわれは、この少女に或る種の喝采を送ら
ないではおれないのである。というのは、彼女はより重要なものを選んだのであり、自然の(さらに的
確に言えば種族の)意を体して行動したのだからである。ところが両親の忠告は、個人的なエゴイズム
を旨とするものであった。――以上のように見てくると、婚約を結ぶさいに個人かそれとも種族の利害
かそのどちらかが損をせざるをえないかのように思われる。しかしたいていはそうなるものである。と
いうのは、生活上の便宜と激しい恋愛が両立するなどというのは、きわめてまれな幸運だからである。
大部分の人間の身体や道徳、あるいは知性における憐れむべき劣悪な素質は、結婚が通常純粋な選択と
好みからではなく、さまざまな外面的な顧慮から、また偶然の事情にしたがって結ばれるという点に一
部はその原因がある。それでも便宜とあわせて、好みも或るていど顧慮されるならば、これは、いわば
種族の霊との妥協である。幸福な結婚というものは、周知のようにまれである。それはつまり、結婚の
主たる目的が現代の世代ではなく、未来の世代にあるということが、まさに結婚の本質だからである。
しかし恋をしている繊細な心の人びとを慰めるためになおつけ加えておきたいことは、ときとして激し
い性愛に、まったく別の起源から生じる感情、すなわち、心情の一致にもとづく真の友情が加わるとい
うことである。しかしこの友情はたいてい、本来の性愛が満足させられて消えうせたときにはじめて現
われるものである。この場合友情は、ふたりの肉体的な素質と道徳的な素質、それに知性的な素質がた
がいに満足しあい、たがいにふさわしいものであって、そこから、生みだされるべきものを顧慮して性
愛が生ずるのであるが、これらの素質がまたまさに本人自身に関してもあい反する気質や精神上の長所
としてたがいに補足的な関係に立ち、そのことによって心情の調和を基礎づけるということから生ずる
のである。