三菱重工業<上>創業の地「長崎」から造船の灯が消える日
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 三菱の企業城下町、長崎に驚きが広がった。三菱重工業が創業の地である長崎市内に持つ2つの造船所のうち、
主力の香焼工場を、造船で国内3位の大島造船所(長崎県西海市)に売却すると発表したからだ。

 長崎造船所の起源はペリー来航の翌年、徳川幕府が開設した、オランダから購入した軍艦の修理工場・長崎鎔鉄所
に遡る。明治維新後は官営長崎造船局。1884(明治17)年、三菱の創業者、岩崎弥太郎が長崎造船局を借り受け、
長崎造船所と命名し造船業を本格的に始めた。三菱重工はこの年を創業年としている。長崎造船所の造船と、同時期に
買収した高島炭鉱(長崎市)の石炭が、三菱財閥を形成する両輪となった。

 第2次世界大戦中には世界最大の戦艦「武蔵」を建造した場所だ。香焼工場を含めて聖域視されてきたが、造船事業の
赤字が続くなか、主力工場の売却に踏み切った。約600人の従業員は転籍や配置転換となる。

 香焼工場は1972年、本工場に近隣して開設された。1200トンの超大型クレーンを1基、600トンのクレーンを
2基持ち、ドックの長さは1キロと国内最大級の規模を誇る。「造船王国ニッポン」のトップランナーであった。

 日本の造船業は中国、韓国の安値攻勢で、シェアを失っていった。中韓に比べて人件費が高い日本では価格競争力のある
船を造り続けることが難しくなった。

 三菱重工の造船事業は撤退の歴史である。貨物運搬船など採算が悪い商船から、まず撤退。その後は高い技術力が生きる
大型客船に軸足を移した。世界でも大型客船を建造できるのは三菱重工など数社に限られる。