「向こうから勝手にやって来る不特定多数の人」と「政府主催の公的行事に政府側から招待する限られた人」という、
全然ちがう次元の話を一緒くたにして“誰が反社かとかいちいちチェックするの難しいでしょ”って、産経の記者も
似たようなことを言っていたが、あまりに無理やりすぎる。政府主催の公的行事なんだからチェックするのは当然、
多すぎてチェックできないなら、数を絞ればいいだけだ。しかも野党議員を主語にしてシミュレーションするところが、
三浦氏のいやらしいところだ。言うまでもなく、いま問題になっているのは、政府が反社会勢力とみられる人物を
招待していたというもの。にもかかわらず、わざと野党議員のケースで話をすることで、さも野党にもそうした疑惑が
あるかのように“どっちもどっち”に持っていこうとしているのだ。このまったく比較にならないものを無理やり同列に
並べる手法、産経の例の「野党議員も5000円で朝食会やってる」攻撃やネトウヨが拡散しまくっている「野党議員と
反社勢力ツーショット集」なるフェイクと同レベルではないか。

 三浦氏といえば、以前は安倍政権を擁護するにも、もうちょっと高度に中立を装ったオリジナリティのある擁護の
仕方をしていたと思うが、最近はもはや田崎スシローを通り越して、産経とかネトウヨが叫んでるような、無理やり
すぎる政権擁護を連発している。この日も、もう完全にあっち側の人なんだということが、あらためて印象付けられた。

 こんな感じで30日の『朝生』は、ある意味では、田崎氏と三浦氏という“御用コンビ”による政権フォロー話法の
「見本市」でもあった。もとより、この人たちに政治問題を語らせても、もはや手を替え品を替え安倍政権を擁護する
だけということは明らか。本来、あらためて言うまでもないことだが、権力者は批判されなければ簡単に政治を私物化
するものだ。この人たちには、そういう当たり前の観点が完全に抜けきっている。