この場合、本能というものの性格、すなわ
ち、目的概念に従っているかのように見えながら、じつは目的概念をもたずに行動しているというこの
性格がきわめて完全に保持されており、かの妄想にかりたてられる者は、彼を導く唯一のものである目
的すなわち生殖を忌避したり、妨げたりすることさえある。つまり道ならぬ恋の場合がほとんどすべて
そうである。事柄の性格が以上述べたとおりのものであるため、恋人たちはすべて、ようやくのことで
想いをとげると奇妙な失望感を覚え、これほどまでにあこがれ望んでいたことが他のすべての性的満足
より格別ましなものでなかったことに驚き、そこで、そのためたいして得もしなかったことを悟るので
ある。すなわち、かの願望とその他のあらゆる願望との関係は、種族と個体、つまり、無限なるものと
有限なるものとの関係のようなものである。ところが満足はほんらい種族のためのみのものであり、そ
のため個体には意識されない。というのは、個体は、この場合種族の意思に鼓舞され、自分の目的では
まったくなかった目的にいかなる犠牲を払っても仕えるからである。そこですべての恋人たちは、この
大仕事をついにしとげたのちに、瞞着されたことを悟るのである。というのは、この場合は妄想によっ
て個体は種族にだまされていたのであるが、この妄想が消えうせたからである。したがって、快楽にま
さるほら吹きはいないというプラトンの言葉はまことに至言である。