関東大震災後に日本の言論界に、世の中の風潮が利己的、放漫になった時、
自然が天譴として大災害を起こし改革を促す、と解釈した「天譴論」が流行したが、
その口火を切ったのは渋沢だった[10]。「
天譴」は腐敗したブルジョアや近代産業文明を批判し、平等や自然回帰を賛美する流行語となったが、
不自然さや偽善性を感じた人も少なくなかった。
主唱者だった渋沢も「天譴だと言う人は、本当にこれを天譴と思って居るのではないかも知れませぬから」と苦言を呈するようになった。



渋沢栄一先生は左翼やで