12名無しさん@1周年2019/02/15(金) 10:22:54.81ID:KC1v8zvF0

久美子まとめ その1

久美子は一橋大学卒業後、
大塚家具の主要取引銀行である富士銀行(現・みずほ銀行)に入社。
「得意先のお嬢さん」だから腫れ物を触るような扱いだった。
幸い美人だったし業務にあまり影響のない国際広報という部署へ回される。
3年で退社し、父親の勝久に頼み込んで1994年に大塚家具へ入社。
色々な役職を歴任するが、どの部署でも評判はあまり良くなかったようだ。
2004年に大塚家具を一旦辞めて、筑波大の法科大学院へ入学しつつ、広報やIRに関するコンサルタント会社を立ち上げる。
あまり中身のない会社で、この頃に知り合ったコンサル関係の人たちから変な影響を受けてるっぽい。
経営はあまり上手く行かず潰している。

2007年に大塚家具は自社株買いに関してインサイダー取引で摘発される。
これが、久美子(とその背後にいる外資系ファンド)が意図的に仕掛けた罠で、責任を取って長男の勝之氏が辞任。
勝久氏が知らないところでインサイダー取引が行われたということで、久美子はコンプライアンス確立と同族経営脱却、及び相続対策を表向きの理由に別会社設立を勝久氏に訴える。
具体的には、資産管理会社の設立と社外取締役の受け入れ。
勝久氏は仕方なく了承し、久美子は大塚家具の持ち株会社「ききょう企画」を立ち上げ、自身が取締役に就任する。
ききょう企画は、大塚一族の持つ大塚家具の株式を買取り、代わりに社債を発行する仕組み。
勝久氏は130万株をききょう企画へ譲渡し、代わりに15億円分の社債(2013年4月までの期限付き)を受け取る。
(実はこれは勝久氏の持つ議決権を奪うのが真の目的だった。)
この時点でききょう企画が筆頭株主になっており、また久美子派の社外取締役が2人就任。久美子が社長になる布石は着実に出来ていった。
ききょう企画の取締役として再び大塚家具に出入りするようになった久美子は
それまで年間700億あった売り上げをわずか1年で500億まで減少させた。
(のちに久美子はこの時の売り上げ減少を勝久のせいにし、2015年の株主総会で濡れ衣を着せる)