ちなみに言えば、国が関与した組織で一定期間働くと、そこでしか培えない新たな人脈や経験を培うことができ、それにより機構の後に就いた仕事で報酬を大きくアップできるのは、たとえば小泉政権時の産業再生機構で働いた人たちの
その後を見ても明らかです。そう考えると、公的な期間で過ごす期間はまったく新しい経験をする修行みたいな要素もあるので、より一層、ある程度低い報酬でも当然だと個人的には思います。
 
 それにもかかわらず、機構の経営陣は経産省の最初の提示とは異なる低い報酬水準に同意しませんでした。官民ファンドのような位置づけが中途半端な組織は、官の悪いところと民の悪いところを足し合わせた、組織として最悪なものに
なりがちですが、察するに機構は発足からわずか3ヵ月で、まさにそのような最悪な組織となり、独自の非常識と独善性が生まれてしまったのではないでしょうか。

 官の組織で年収1億円以上もらうのが世間では絶対に許容されないことなど、3秒も考えれば誰でもすぐにわかるはずなのに、機構の経営陣にはわからなかったのが、その証左です。

 したがって、機構を今のまま存続させたら組織としてはもっと腐っていき、公的な資金を無駄に使いかねないはずです。本来民業圧迫に他ならないこのファンドは解散すべきですが、それが無理ならば、せめて経営陣の総取っ替えを
しなければダメです。

● 特有な独善的思考は改まるか? 官のガバナンス強化こそが必要

 以上のように、日産の一件と産業革新投資機構の一件からは、官の組織に特有の独善的な思考が見え、最近はそれがさらにひどくなっているのではと憂慮せざるを得ません。これは言葉を変えれば、政府は民間企業にガバナンスの
強化を求めるけれど、その政府の側のガバナンスが緩いままなのです。

 その原因が、長期政権が続いていることで政府の組織が緩んだことにあるのか、景気が良くなったことにあるのか、または別の何かによるものなのかはわかりません。それでも、政府の組織の引き締めが急務となってきたのは
間違いありません。総理官邸が今後、この問題にいかに取り組んでくれるのかを、注視していくべきではないでしょうか。

 (慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授 岸 博幸)