沖縄県、奄美群島とB円
https://ja.wikipedia.org/wiki/B%E5%86%86
アメリカが占領した直後、沖縄本島は沖縄戦による荒廃によりどの通貨も流通せず、取引は物々交換
で行われていた。その他の地域では旧日本円や、久米島紙幣などの地域通貨が若干流通していた。
1946年4月15日、アメリカ軍は自らが発行するB円を公式通貨とした。その後、1946年8月5日からは
若干の条件付きで新旧日本円の流通も認めた。そのため終戦直後の沖縄県や奄美群島においては、
これらの通貨が混合して流通していた。

アメリカ軍が恒久的な統治を考えるようになると、1948年7月21日に新旧日本円の流通は禁止され、B円が
流通する唯一の通貨となった[1]。このときは、7月16日から21日にかけて、日本円とB円の交換が行われた[2]。

当初は 日本円1 円 = 1 B円 が公定レートだったが、1950年4月12日に日本円 3 円 = 1 B円(1ドル
=120 B円)となり、B円が廃止されるまでこのレートが使われた。このレート変更は物価の上昇を招き、
奄美群島の本土復帰運動を加速させる結果にもなった。

B円だけを使用させることにより、米国民政府は、通貨の流通量を統制することができた。当時の公定
レートは1ドル=360円だったが、1ドル=120B円という、日本円に比べ割高なレートがとられたのは、アメ
リカ軍が基地建設や駐留経費などを日本企業に支払う際に有利な条件にするためだったといわれて
いる。これにより日本本土から安価で資材を調達することができたかわりに、沖縄県周辺の経済は空
洞化した。また、本土系企業の進出をも遅らせる理由になった。

当時の朝日新聞によれば、1953年12月25日において実際の通貨としての価値は1 B円=1.8 日本円程度だったという。

1958年9月16日から20日にかけて、アメリカドルへの通貨切り替えが行われ、廃止された[3]。なお、
この時点で奄美群島は既に本土復帰していた。

A円もあり、これは南朝鮮(現在の韓国)の法定通貨[4]とされていたが、日本国内ではアメリカ軍基
地間での決済のみで使用され、外部への流出は禁止された。ただし、多少は流出したものがあり、
残っている。アメリカ軍の軍票は、このほかドル建てのものも存在した。

日本本土とB円