兄「子供の頃からボール遊びが好きだった。田舎町で少年野球チームが無かったから本格的な野球は中学からだったが、すぐにエースで4番になった。
高校に入った時も夏までにエースで4番になれなかったら野球辞めろとハッパをかけたが、あっさりなってしまった」

秋田工業担任「後から分かった事だが、1年生の頃から活躍して野球部の上級生に目を付けられ酷いイジメを受けていた。誰にも言わず本人なりに対処していた」

秋田工業後輩「先輩が後輩を殴る、シゴく、イジメるのが当たり前の時代だったが、落合さんは全く暴力を振るわなかった。それどころか私達にラーメンを奢ってくれたりした。
確かに部活も学校も休みがちだったが、悪い印象は全く無い。周りに流されずしっかり自分を持った優しい先輩だった」

東洋大学監督「全国各地から選手が集まる中で、やっぱり寮生活で1年生はのんびりできません。その辺りが彼には辛かったのだと思う。(大学時代のイジメについては落合本人も否定)怪我も重なりすぐに中退してしまったのが惜しまれる」

フリーター時代の草野球仲間「バットを持てば誰よりも目立っていた。彼が打つと軟式ボールがバフラッて変な音を立てて楕円形に歪んで吹っ飛んで行った。」

東芝府中監督「私は彼に打撃は何も教えていません。最初から打てましたから。ただ、体力だけはつけさせました。周り道してきたものですから、練習をするだけの体力もありませんでした。
彼も吐きながら必死に走ってましたよ」