ベルギー
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植民地支配
1885年に第2代国王レオポルド2世が個人の所有地としてアフリカにコンゴ自由国を領有する。コンゴ自由
国はレオポルド王の極めて残忍な統治で徹底的に搾取され、コンゴの人口は2500万人から1500万人に
激減したと推定されている。コンゴの植民地化以降、アントウェルペンには世界からダイヤモンド原石の約
70%が送られるようになり、当地の伝統技術でカット・研磨された。コンゴ自由国は1908年にベルギーの
国家的所有に移されて、ベルギー領コンゴとして1960年まで支配された。

1906年、ジョン・モルガンとジョン・ロックフェラーだけでなく、鉱山王ダニエル・グッゲンハイム(Daniel Guggenheim)
にタバコ王トーマス・ライアン(Thomas Fortune Ryan)を加えた四人を、レオポルド2世がブリュッセルへ招待し、
彼の植民地企業の株式を共同保有するよう誘った。ライアンとグッゲンハイムは、ダイヤモンド開発を担うフォル
ミニエール(Forminiere)に1/4ずつ参加した。モルガン・ギャランティ・トラストは、誘致からしばらくして、「ベルギ
ー領コンゴ政府における伝統的な財政支援者」となった。ロックフェラー・グループもベルギー所有の植民地企業
へ資本参加した。[27][28]

1908年には、セシル・ローズが生前から要求していた鉄道の延長に関する交渉も再開されていた。暫定合意
の結果、ブロークンヒルからカタンガ州に延伸する目的でローデシア=カタンガ接続鉄道鉱物会社が設立された。
カタンガは1906年からユニオン・ミニエールが大規模に採掘していた。同年設立のジェネラル・キャリアは現在で
も操業している。

第一次世界大戦では、1914年にドイツ帝国により中立を犯されて占領されるが、1919年のヴェルサイユ条約
によりドイツ帝国の植民地であった現在のルワンダとブルンジを獲得した。

第二次世界大戦で、コンゴのウランがマンハッタン計画に寄与した。フランス領コンゴでも同様であった[29]。

1960年にコンゴ民主共和国がベルギーから独立したが、独立に際してのベルギーの対応はコンゴ動乱やモブツ
体制の確立など、コンゴの不安定化を大きく助長した。1958年4月にベルギー領コンゴの発行した1500万ドル
の外債は、幹事のディロン・リード(150)を筆頭に、ラザード(60)、ゴールドマン・サックス(60)、メリル・リンチ(60)な
ど40社が引受けた(括弧内は単位万ドルの引受額)。