関東大震災後、首塚の上に大蔵省の仮庁舎を建てた時はその無礼に怒り、将門の祟りが爆発した。当時の大蔵大臣を含め、関係者数十名が次々と変死する事件が起きた。
いずれも平将門など落ち武者などに殺される夢にうなされて変死する、または事故死してしまったのである。
昭和2年4月27日に将門の供養が行われ、神田明神の宮司によって実施され祟りは収まった。