アーヴィング・フィッシャー
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ィッシャーは貨幣数量説を復活させて物価指数の初期の提唱者の1人となったほか、フィリップス曲線や無差
別曲線への重要な貢献をおこなった。フィッシャーの分離定理を提案したと言われている。また国際フィッシャー
効果およびフィッシャー方程式も彼にちなんで名づけられたものである。
フィッシャーは最も初期のアメリカ新古典派経済学者の1人であり最初の有名な米国経済学者とされる。

評価[編集]
1929年の大暴落と1930年代の不況は、フィッシャーの名声を傷つけた。彼はローロデックスというカード索引
の発明で莫大な富を得たが、株式市場の暴落でそのほとんどを失った。フィッシャーは1929年の株式市場
暴落の数日前に、「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」という有名な予言を行っていた。
暴落の数ヶ月後にも、彼は投資家に対して回復は間もなく訪れると明言し続けた。しかしひとたび大恐慌
が本格的になると彼は転向し、デフレーションの経済的危険性を警告した。物価水準は彼の思考の中心
であり続けたが彼の負債デフレーション理論は物価水準が下落したとき、人々が彼らの負債を完済しようと
することで負債の実際の負担が増加することを強調した。その分析は人々を納得させることができず、マクロ
経済学の中に新しい発想を求めた人々は代わりにジョン・メイナード・ケインズに注目した。