<前略>
しかしながら、発掘されたラムセス2世のミイラはもともと複雑な状態にあり、より深刻化した20世紀半ばには、
スペイン「エル・エスパニョール」紙が、保管場所は理想的なコンディションにはなく、劣化が進むと危険な状態になることを報じた。
通常、ミイラは念入りな防カビ剤が施されるのだが、カイロ博物館の学芸員は、この歴史的にも貴重な遺物が89の菌類に冒されていることを認め、
フランスの専門家に“治療”させることに合意したのだ。そして1976年、ラムセス2世の3000年ぶりの海外渡航が決まったのである。
さっそくラムセス2世のフランス行きの手はずを整えた関係者だったが、受け入れ側のフランスの入国管理当局は、
このラムセス2世を貨物として受け入れることを拒否する。
ラムセス2世が人間である以上、生きていようが死んでいようが“パスポート”が必要であるというのだ。
とすれば、エジプト政府としてはラムセス2世のパスポートを新たに発行しないわけにはいかない。
正確にはヨーロッパ加盟国で有効な短期滞在用の「シェンゲン・ビザ」をラムセス2世の名前で発行したのである。
実物の画像を見ると、生年欄には「紀元前1303年」、職業欄には単刀直入に「王」とだけ記入されていることがわかり、只者ではないことがひしひしと伝わってくる。
いずれにしても、こうしてラムセス2世は名実共に現代によみがえることになったのだ。
なるべく最短時間で旅を終えてフランスの専門家の“治療”を受けたかったエジプト側だったが、
エジプトの“王様”が訪問されるということであればフランス側も何もしないわけにはいかない。
航空機で運ばれたラムセス2世が到着したフランスのル・ブルジェ空港で、各州のトップが列席した軍による歓迎の儀が執り行われたという。
こうして“セレブ”として丁重なもてなしを受けたラムセス2世は、その後ようやく専門家による“治療”を施されて無事にエジプトへと帰国することになった。
死後3200年の時を越えて実現した海外渡航でラムセス2世が、手に入れたのは“永遠の命”だったといえるのではないだろうか。
<後略>
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