0001爆笑ゴリラ ★2020/12/13(日) 09:26:27.10ID:CAP_USER9
12/13(日) 6:03配信
SmartFLASH
1986年に結婚し、35年たった今も新婚のように仲がいい高砂親方と妻・恵さん。親方は、部屋を継承させた今も、稽古場で指導を続ける
12月9日に65歳の誕生日を迎える、先代・高砂親方(元大関・朝潮)。日本相撲協会の定年となり、高砂部屋は元関脇・朝赤龍が継承することになった。学生相撲から鳴り物入りで入門して「大ちゃん」ブームを巻き起こした現役時代から、現在までを振り返ってもらった。
「近畿大を卒業後、22歳で入門して、もう40年以上。あっという間だったね。高砂部屋を選んだのは、年上の人が少なかったから。当時はまだ、学生相撲出身というと、反感を買うことが多かったんですよ。『なにが大学出だ!』なんて、もし年上の人が多い部屋に入っていたら、相当やっかまれてたと思うよ」
プロ入りしたときからの目標が、「打倒・北の湖」だった。
「ほかにも横綱はいたけど、やっぱり “王者” は北の湖さん。『とにかくあの人を倒したい、勝たないと俺の名は売れないんだ』と、そういう気持ちでぶつかっていったんです」
「憎らしいほど強い」とまで言われた大横綱・北の湖戦は、通算で13勝7敗。朝潮に苦しめられた横綱は、北の湖だけではない。対戦した横綱9人すべてから勝ち星を挙げ、「対横綱戦通算40勝」という、途方もない記録を残しているのだ。
「輪島さんは、また違う存在で、学生相撲出身力士にとっては憧れでした。自分よりかなり年上だったけど、ずいぶんかわいがってもらったものです。
五木ひろしさんを紹介してもらったし、そのほかにも大きな会社の社長さんとか、何人も紹介してもらった。この世界、そういう人脈は、ものすごく大事なんですよ」
千代の富士は年が一緒で、一門も同じだった。
「最初は俺のほうが番付が上だったけど、あっという間に追い抜かれた(笑)。あいつとは優勝決定戦を2回やって、2回とも負けてるんだ。『2回のうち1回でもお前が勝ってれば、お前も横綱になってたよ』って、あいつに言われた。そのへんの勝負強さがね、千代の富士にはあったよね」
大関昇進は、入門から5年後の1983年。それから36場所、丸6年間、大関の地位を守り通した。
「現役生活は11年間。半分以上、大関を務めたわけだから、まあ『力士としてはよし』といっていいでしょう。自分は大関から落ちてまで、相撲を取るつもりはまったくなかった。
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201213-00010000-flash-000-6-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b3fac58ced418bcf715394b4c119298d903da83
>>2続く
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1986年に結婚し、35年たった今も新婚のように仲がいい高砂親方と妻・恵さん。親方は、部屋を継承させた今も、稽古場で指導を続ける
12月9日に65歳の誕生日を迎える、先代・高砂親方(元大関・朝潮)。日本相撲協会の定年となり、高砂部屋は元関脇・朝赤龍が継承することになった。学生相撲から鳴り物入りで入門して「大ちゃん」ブームを巻き起こした現役時代から、現在までを振り返ってもらった。
「近畿大を卒業後、22歳で入門して、もう40年以上。あっという間だったね。高砂部屋を選んだのは、年上の人が少なかったから。当時はまだ、学生相撲出身というと、反感を買うことが多かったんですよ。『なにが大学出だ!』なんて、もし年上の人が多い部屋に入っていたら、相当やっかまれてたと思うよ」
プロ入りしたときからの目標が、「打倒・北の湖」だった。
「ほかにも横綱はいたけど、やっぱり “王者” は北の湖さん。『とにかくあの人を倒したい、勝たないと俺の名は売れないんだ』と、そういう気持ちでぶつかっていったんです」
「憎らしいほど強い」とまで言われた大横綱・北の湖戦は、通算で13勝7敗。朝潮に苦しめられた横綱は、北の湖だけではない。対戦した横綱9人すべてから勝ち星を挙げ、「対横綱戦通算40勝」という、途方もない記録を残しているのだ。
「輪島さんは、また違う存在で、学生相撲出身力士にとっては憧れでした。自分よりかなり年上だったけど、ずいぶんかわいがってもらったものです。
五木ひろしさんを紹介してもらったし、そのほかにも大きな会社の社長さんとか、何人も紹介してもらった。この世界、そういう人脈は、ものすごく大事なんですよ」
千代の富士は年が一緒で、一門も同じだった。
「最初は俺のほうが番付が上だったけど、あっという間に追い抜かれた(笑)。あいつとは優勝決定戦を2回やって、2回とも負けてるんだ。『2回のうち1回でもお前が勝ってれば、お前も横綱になってたよ』って、あいつに言われた。そのへんの勝負強さがね、千代の富士にはあったよね」
大関昇進は、入門から5年後の1983年。それから36場所、丸6年間、大関の地位を守り通した。
「現役生活は11年間。半分以上、大関を務めたわけだから、まあ『力士としてはよし』といっていいでしょう。自分は大関から落ちてまで、相撲を取るつもりはまったくなかった。
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201213-00010000-flash-000-6-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b3fac58ced418bcf715394b4c119298d903da83
>>2続く