0001少考さん ★2020/06/06(土) 09:56:12.41ID:ta2IpmwI9
横浜銀蠅のJohnny、37年ぶり復帰 ファンが憧れる等身大のスター 会社員でも実績「燃え尽きたい」(withnews) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3bed73d941f3761ba615ae9f301561abe30a756
6/6(土) 7:00配信
1980年代初めに「ツッパリHigh School Rock'n Roll」などで一世を風靡したツッパリ4人組の「横浜銀蠅」。結成40周年を迎えたロックバンドに、オリジナルメンバーのギタリスト、Johnnyさん(62)が37年ぶりに復帰しました。レコード会社の社員として「トイレの神様」などのヒット曲を世に送り出し、現在は社長を務めるJohnnyさんは、「悩んだりする時間ももったいない」と、バンドに打ち込む思いを語ります。(朝日新聞・坂本真子)
■「この3年3カ月が、その後の人生のベースになっているんです」
■「病気がなければ音楽とは出会わなかった。人間万事塞翁が馬」
(略)
■ソロ活動後キングレコードへ「相当な覚悟を決めて入りました」
横浜銀蠅を解散後、Johnnyさんは20代後半で結婚して父親に。ソロ活動で思うような結果が出なかったこともあり、キングレコードにスタッフとして入社します。
「相当な覚悟を決めて入りました。レコード会社に入って、音楽史に残るアーティストを作るんだ、それを目標に生きるんだ、と自分に言い聞かせて」
そして、ディレクターとして、中山美穂さんやAKB48の制作に関わったJohnnyさん。2010年には植村花菜さんの「トイレの神様」を大ヒットさせました。
そんなJohnnyさんが音楽制作で最も大切にしていることは、ずっと一貫しています。
「どんなに有名なプロデューサーやアーティストに会っても、『僕はこういうものが作りたい』『こういう音楽が好きです』と自分が思うことを言う。それだけは銀蠅の時から変わりません」
「銀蠅はデビュー前に40回ぐらいオーディションを受けて、そのたびに『君たち面白いけど、今の時代じゃないよね』と言われて落ち続けた。でも、やっていることは変わらなかったし、デビューしたら2発目でドーンと行っちゃった。『今の時代』に合わせて音楽を変えていたら、その後の銀蠅はなかったと思うんです。だから、好き嫌いははっきり言わないと」
■「Johnnyどうよ」から始まった猛練習「楽しくなっちゃって」
Johnnyさんは2013年、キングレコードの系列であるベルウッドレコードで社長に就任します。経営者として手腕を発揮。再び表舞台に立つとは全く想像していませんでした。
2018年11月、横浜銀蠅のデビュー当時の担当ディレクターでこの年に亡くなった水橋春夫さんを偲ぶ会が行われました。Johnnyさんはそこで約20年ぶりに翔さんと再会。話が弾み、「再来年の2020年が結成40周年になるんだけど、Johnnyどうよ」と誘われます。
20年近くギターを全く弾いていなかったことから、いったんは断りましたが、徐々に気持ちが変わっていきました。
「もしかしたら水橋さんが声かけてくれたのかな、と。そんなことがなければ僕もずっと翔くんと離れていたかもしれないのに、水橋さんがまた取り持ってくれて久しぶりに会えたのかな、と思ったんです」
翔さんとの食事の席で、「真剣に練習するから時間が欲しい」と伝えたJohnnyさん。3カ月間の猛練習を経て、2019年3月1日、30数年ぶりにオリジナルメンバー4人で一緒にリハーサルスタジオに入りました。
「そうしたら、楽しくなっちゃって。やっぱバンドは楽しいからやらせてよ、と言ったんです。正直なところ、よくここまで復帰できたな、と思っていますけど(笑)」
2019年夏からレコーディングし、2020年2月、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(還暦編)」など新曲10曲を収録したオリジナルアルバムと、ベストアルバムというCD2枚組みの「ぶっちぎりアゲイン」を発売しました。
■「燃え尽きたいし走り抜きたい。その先のイメージは全くない」
(略)
37年ぶりに復帰した横浜銀蠅での活動は、2020年末までの1年間だけと決めています。
「そこで終わり!と燃え尽きたいし、走り抜きたい。その先のイメージは全くないです。今は緊張したり何かを悩んだりする時間ももったいない。現実にもう、12分の5は終わっちゃって、毎日減っていくわけで。残り少ない2020年を1日1日、前向きに楽しんでいきたいです」
(略)
全文はソースで
関連スレ
【訃報】ロックバンド「ジャックス」の水橋春夫さん死去 69歳 Winkや横浜銀蝿のプロデューサー 「淋しい熱帯魚」など
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1533720648/
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3bed73d941f3761ba615ae9f301561abe30a756
6/6(土) 7:00配信
1980年代初めに「ツッパリHigh School Rock'n Roll」などで一世を風靡したツッパリ4人組の「横浜銀蠅」。結成40周年を迎えたロックバンドに、オリジナルメンバーのギタリスト、Johnnyさん(62)が37年ぶりに復帰しました。レコード会社の社員として「トイレの神様」などのヒット曲を世に送り出し、現在は社長を務めるJohnnyさんは、「悩んだりする時間ももったいない」と、バンドに打ち込む思いを語ります。(朝日新聞・坂本真子)
■「この3年3カ月が、その後の人生のベースになっているんです」
■「病気がなければ音楽とは出会わなかった。人間万事塞翁が馬」
(略)
■ソロ活動後キングレコードへ「相当な覚悟を決めて入りました」
横浜銀蠅を解散後、Johnnyさんは20代後半で結婚して父親に。ソロ活動で思うような結果が出なかったこともあり、キングレコードにスタッフとして入社します。
「相当な覚悟を決めて入りました。レコード会社に入って、音楽史に残るアーティストを作るんだ、それを目標に生きるんだ、と自分に言い聞かせて」
そして、ディレクターとして、中山美穂さんやAKB48の制作に関わったJohnnyさん。2010年には植村花菜さんの「トイレの神様」を大ヒットさせました。
そんなJohnnyさんが音楽制作で最も大切にしていることは、ずっと一貫しています。
「どんなに有名なプロデューサーやアーティストに会っても、『僕はこういうものが作りたい』『こういう音楽が好きです』と自分が思うことを言う。それだけは銀蠅の時から変わりません」
「銀蠅はデビュー前に40回ぐらいオーディションを受けて、そのたびに『君たち面白いけど、今の時代じゃないよね』と言われて落ち続けた。でも、やっていることは変わらなかったし、デビューしたら2発目でドーンと行っちゃった。『今の時代』に合わせて音楽を変えていたら、その後の銀蠅はなかったと思うんです。だから、好き嫌いははっきり言わないと」
■「Johnnyどうよ」から始まった猛練習「楽しくなっちゃって」
Johnnyさんは2013年、キングレコードの系列であるベルウッドレコードで社長に就任します。経営者として手腕を発揮。再び表舞台に立つとは全く想像していませんでした。
2018年11月、横浜銀蠅のデビュー当時の担当ディレクターでこの年に亡くなった水橋春夫さんを偲ぶ会が行われました。Johnnyさんはそこで約20年ぶりに翔さんと再会。話が弾み、「再来年の2020年が結成40周年になるんだけど、Johnnyどうよ」と誘われます。
20年近くギターを全く弾いていなかったことから、いったんは断りましたが、徐々に気持ちが変わっていきました。
「もしかしたら水橋さんが声かけてくれたのかな、と。そんなことがなければ僕もずっと翔くんと離れていたかもしれないのに、水橋さんがまた取り持ってくれて久しぶりに会えたのかな、と思ったんです」
翔さんとの食事の席で、「真剣に練習するから時間が欲しい」と伝えたJohnnyさん。3カ月間の猛練習を経て、2019年3月1日、30数年ぶりにオリジナルメンバー4人で一緒にリハーサルスタジオに入りました。
「そうしたら、楽しくなっちゃって。やっぱバンドは楽しいからやらせてよ、と言ったんです。正直なところ、よくここまで復帰できたな、と思っていますけど(笑)」
2019年夏からレコーディングし、2020年2月、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(還暦編)」など新曲10曲を収録したオリジナルアルバムと、ベストアルバムというCD2枚組みの「ぶっちぎりアゲイン」を発売しました。
■「燃え尽きたいし走り抜きたい。その先のイメージは全くない」
(略)
37年ぶりに復帰した横浜銀蠅での活動は、2020年末までの1年間だけと決めています。
「そこで終わり!と燃え尽きたいし、走り抜きたい。その先のイメージは全くないです。今は緊張したり何かを悩んだりする時間ももったいない。現実にもう、12分の5は終わっちゃって、毎日減っていくわけで。残り少ない2020年を1日1日、前向きに楽しんでいきたいです」
(略)
全文はソースで
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