0001鉄チーズ烏 ★2019/06/12(水) 19:11:43.04ID:Tj1YVkJ29
【2020THE STORY 飛躍の秘密 】 今月20日(日本時間21日)に開催されるNBAドラフトで日本人初の1巡目指名が有力視されるバスケットボール男子日本代表の八村塁(21=米ゴンザガ大)は異色の経歴を持つ。小学生時代は野球に打ち込み、捕手で4番。陸上の100メートルで富山県大会を制覇するなど短距離でも実績を残した。バスケットボールを始めたのは中学1年時からと遅い。そこからいかにして成長を遂げたのか。15歳まで過ごした富山時代の恩師らの証言を基に原点を探った。
少年野球の中心選手の代名詞は「エースで4番」だが、奥田少年野球クラブの八村は「捕手で4番」。当時、監督を務めた高嶋信義氏(73)が投手を任せられなかった意外な理由を明かした。
「投手の練習もしたけど、球が速い上に“ズシッ”と重くて、捕手が手を痛がるんですよ。真ん中から少しでもズレると、捕球できずにパスボールになってしまう。球に威力がありすぎて投手にできなかった」
子供では手を痛めるため、キャッチボールの相手は監督やコーチら、大人が務めていたという。野球を始めたのは小学2年。捕手でも存在感は抜群だった。少年野球では捕手の肩が弱いため、一塁に走者が出た際に盗塁を仕掛けることが多いが、八村は小学生離れした強肩。高嶋氏は「初回に鋭い送球を見せると、その後は相手が走ってこなくなった」と振り返る。
打者としては本塁打と三振が多い大砲タイプだが、足が速いため内野安打も量産。100メートル走で県大会で優勝した実績があり、空手に挑戦した時期もある。幼なじみで元チームメートの木本紗英さん(21=学生)は「器用なタイプではないけど、運動神経抜群でヒーロー的な存在だった」と回想した。
富山県は雪国。冬に屋外で練習できない環境が、八村の可能性を広げた。雪でグラウンドが使えず体育館で練習する12〜2月は、奥田少年野球クラブの指導方針で、神経系や俊敏性を磨くサーキットトレーニングや柔軟性を高めるストレッチなど、運動能力を上げるメニューに時間が割かれた。月に2、3回のペースでバスケットやドッジボール、バレーボールなども実施。高嶋氏は「塁は凄く体が硬かったので、よくあそこまで成長したなという感じです。子供では体を押せないので私がいつも柔軟をサポートしていました」と懐かしんだ。
小学6年の夏。白球を追う八村がアクシデントに見舞われた。股関節に成長痛を発症。思うように足を動かせず、練習に参加できなくなった。復帰できないまま卒業を迎え、奥田中に進学した。入学時には痛みは消えていたが、半年以上も離れた野球を続けるか迷った。4月下旬になっても部活動が決まらない八村に目を付けたのが、バスケ部の坂本穣治コーチ(59)。入部が決まっていた八村のクラスメートに「とにかく一度、八村を練習に連れてきてほしい」と伝え、熱烈なラブコールの末に勧誘に成功した。
バスケ部入部が決まると、坂本コーチは初心者の八村にいきなり「NBAを目指そう」と告げた。世代トップクラスの実力がありながら野球、陸上、空手が長続きしなかったことを踏まえ、世界最高峰の舞台を意識させてモチベーションを持続させる狙いがあった。「同級生にNBAオタクがいたので、塁に雑誌や映像を見せるように伝えていました。それでバスケにのめり込んでいったんですよ」。八村は部活がオフの日も、チームメートを誘って公共の体育館でシュート練習するなど努力を積み、急速に力を伸ばしていった。
>>2以降に続きます
2019年06月12日 10:00五輪
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/06/12/kiji/20190611s00048000492000c.html
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/06/11/jpeg/20190611s00048000493000p_view.jpg
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/06/11/jpeg/20190611s00048000494000p_view.jpg
少年野球の中心選手の代名詞は「エースで4番」だが、奥田少年野球クラブの八村は「捕手で4番」。当時、監督を務めた高嶋信義氏(73)が投手を任せられなかった意外な理由を明かした。
「投手の練習もしたけど、球が速い上に“ズシッ”と重くて、捕手が手を痛がるんですよ。真ん中から少しでもズレると、捕球できずにパスボールになってしまう。球に威力がありすぎて投手にできなかった」
子供では手を痛めるため、キャッチボールの相手は監督やコーチら、大人が務めていたという。野球を始めたのは小学2年。捕手でも存在感は抜群だった。少年野球では捕手の肩が弱いため、一塁に走者が出た際に盗塁を仕掛けることが多いが、八村は小学生離れした強肩。高嶋氏は「初回に鋭い送球を見せると、その後は相手が走ってこなくなった」と振り返る。
打者としては本塁打と三振が多い大砲タイプだが、足が速いため内野安打も量産。100メートル走で県大会で優勝した実績があり、空手に挑戦した時期もある。幼なじみで元チームメートの木本紗英さん(21=学生)は「器用なタイプではないけど、運動神経抜群でヒーロー的な存在だった」と回想した。
富山県は雪国。冬に屋外で練習できない環境が、八村の可能性を広げた。雪でグラウンドが使えず体育館で練習する12〜2月は、奥田少年野球クラブの指導方針で、神経系や俊敏性を磨くサーキットトレーニングや柔軟性を高めるストレッチなど、運動能力を上げるメニューに時間が割かれた。月に2、3回のペースでバスケットやドッジボール、バレーボールなども実施。高嶋氏は「塁は凄く体が硬かったので、よくあそこまで成長したなという感じです。子供では体を押せないので私がいつも柔軟をサポートしていました」と懐かしんだ。
小学6年の夏。白球を追う八村がアクシデントに見舞われた。股関節に成長痛を発症。思うように足を動かせず、練習に参加できなくなった。復帰できないまま卒業を迎え、奥田中に進学した。入学時には痛みは消えていたが、半年以上も離れた野球を続けるか迷った。4月下旬になっても部活動が決まらない八村に目を付けたのが、バスケ部の坂本穣治コーチ(59)。入部が決まっていた八村のクラスメートに「とにかく一度、八村を練習に連れてきてほしい」と伝え、熱烈なラブコールの末に勧誘に成功した。
バスケ部入部が決まると、坂本コーチは初心者の八村にいきなり「NBAを目指そう」と告げた。世代トップクラスの実力がありながら野球、陸上、空手が長続きしなかったことを踏まえ、世界最高峰の舞台を意識させてモチベーションを持続させる狙いがあった。「同級生にNBAオタクがいたので、塁に雑誌や映像を見せるように伝えていました。それでバスケにのめり込んでいったんですよ」。八村は部活がオフの日も、チームメートを誘って公共の体育館でシュート練習するなど努力を積み、急速に力を伸ばしていった。
>>2以降に続きます
2019年06月12日 10:00五輪
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/06/12/kiji/20190611s00048000492000c.html
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/06/11/jpeg/20190611s00048000493000p_view.jpg
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/06/11/jpeg/20190611s00048000494000p_view.jpg