0001ばーど ★2018/03/26(月) 13:31:41.15ID:CAP_USER9
センバツ甲子園が開幕し、球児たちの熱戦が連日繰り広げられている。今年は春が90回、夏が100回の記念大会を迎える節目の年だ。その長い歴史の中で、数々の名勝負を演じてきた商業高校が甲子園から姿を消しつつある。現場では、何が起きているのか。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がリポートする(文中敬称略)。
* * *
愛媛県立松山商業(以下、松商)──。甲子園の出場回数は春夏通算42回を数え、全国制覇は夏5回、春2回を誇る。無類の強さを誇った夏の戦いの印象から“夏将軍”の異名を持つ野球部は、準決勝に進出した2001年夏以降、甲子園からは遠ざかり、昨今は済美、松山聖陵といった私立の後塵を拝している。監督を務める重澤和史は、長期にわたる低迷の理由をこう語る。
「全国的に大学進学希望者が増えていることで、松商でも進学率は9割を超えています。すると女子生徒の入学が増え、入試偏差値も上がっていく。松商で野球をやりたいという中学生がいても、合格しづらい状況にあるんです。公立高校ですから、特待制度もありませんし……」
球史に商業高校の栄光あり──。かつては松商を筆頭に、高松商業(優勝は春2回、夏2回)、徳島商業(春1回)、高知商業(春1回)の「四国四商」や広島商業(春1回、夏6回)などが甲子園を席巻した。しかし、2年前のセンバツで準優勝を飾った高松商業を除き、いずれの高校も松商と似た境遇に置かれている。
23日開幕のセンバツでも、出場36校の中で、公立の商業高校は、富山商業のみ。さらに工業高校も21世紀枠で出場する由利工業(秋田)だけだ。一方で、四国から出場するのは松山聖陵に明徳義塾、高知、そして英明とすべて私立である。
全国で弱体化する商業高校の象徴が、松商であろう。かつては3学年あわせて1800人の生徒がいたマンモス校も、少子化の流れには抗えず、現在の生徒数は1060人。野球部全盛期は男女がおおむね同数だったが、現在は女子が7割を占める。
「昔は松商野球部が、いわば愛媛県のオールスターチームだった。現在は、選手が分散していますし、良い選手がいたとしても、中学2年生の頃には私立への進学が決まっていることもある。(推薦入試の条件となる)中学3年の成績が分からないのだから、公立校は太刀打ちできません」
松商野球部のOB会長を務めた経験を持つ御手洗健は、重澤を激励しながら、現在の松商に足りないピースを「四国のダルビッシュ」と語った。
「四国の学校が勝ち上がる時は、圧倒的な投手がいた。最近だと西条の秋山拓巳(現・阪神)、済美の安樂智大(現・楽天)がそう。ただ、良い選手を獲りにいこうにも、成績の評定平均が2コンマいくつとかで……これじゃあどうにもならん」
やはり受験偏差値上昇が低迷の大きな理由だと口を揃える。それだけ選手の勧誘に苦心しているのだろう。
就任10年目の重澤は松商OBではなく、今治西高校の卒業生である。松商の歴史の中で、初めての外様監督だ。それゆえ50人以上のプロ野球選手を輩出している松商OBからの、重澤に対する風当たりは強い。
「責任を感じています。『これは松商の野球じゃない』『監督を辞めろ』と言われることもあります。それも仕方ありません。勝てていませんので。もしOB会が後任を見つけてくるようなことがあれば、私は意向に沿いますし、すべては校長に一任しています」
松商の玄関前には1986年夏の甲子園で準優勝した際の記念碑が立てられており、メンバーの名前と共に、作詞家の阿久悠がスポーツ紙に寄稿した「甲子園の詩86」が刻印されていた。冒頭の一節を引用する。
《怪童もいなければ 天才もいない 大器もいなければ 逸材もいない 目を見はる幸運児も 特別のツキ男もいない 一人一人が一人一人の役を果たしながら 巨大な歯車を回す》
松商のナインは毎日、阿久悠の詩を暗唱し、練習に臨む。重澤は言う。
「この詩にある野球こそ、松商の野球だと思うんです。今年の夏は甲子園が100回大会を迎えます。松商に出てもらいたいと思ってくださる方がたくさんいる。是非とも出場したい」
※週刊ポスト2018年4月6日号
2018年3月26日 11時0分
NEWSポストセブン
http://news.livedoor.com/article/detail/14485631/
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愛媛県立松山商業(以下、松商)──。甲子園の出場回数は春夏通算42回を数え、全国制覇は夏5回、春2回を誇る。無類の強さを誇った夏の戦いの印象から“夏将軍”の異名を持つ野球部は、準決勝に進出した2001年夏以降、甲子園からは遠ざかり、昨今は済美、松山聖陵といった私立の後塵を拝している。監督を務める重澤和史は、長期にわたる低迷の理由をこう語る。
「全国的に大学進学希望者が増えていることで、松商でも進学率は9割を超えています。すると女子生徒の入学が増え、入試偏差値も上がっていく。松商で野球をやりたいという中学生がいても、合格しづらい状況にあるんです。公立高校ですから、特待制度もありませんし……」
球史に商業高校の栄光あり──。かつては松商を筆頭に、高松商業(優勝は春2回、夏2回)、徳島商業(春1回)、高知商業(春1回)の「四国四商」や広島商業(春1回、夏6回)などが甲子園を席巻した。しかし、2年前のセンバツで準優勝を飾った高松商業を除き、いずれの高校も松商と似た境遇に置かれている。
23日開幕のセンバツでも、出場36校の中で、公立の商業高校は、富山商業のみ。さらに工業高校も21世紀枠で出場する由利工業(秋田)だけだ。一方で、四国から出場するのは松山聖陵に明徳義塾、高知、そして英明とすべて私立である。
全国で弱体化する商業高校の象徴が、松商であろう。かつては3学年あわせて1800人の生徒がいたマンモス校も、少子化の流れには抗えず、現在の生徒数は1060人。野球部全盛期は男女がおおむね同数だったが、現在は女子が7割を占める。
「昔は松商野球部が、いわば愛媛県のオールスターチームだった。現在は、選手が分散していますし、良い選手がいたとしても、中学2年生の頃には私立への進学が決まっていることもある。(推薦入試の条件となる)中学3年の成績が分からないのだから、公立校は太刀打ちできません」
松商野球部のOB会長を務めた経験を持つ御手洗健は、重澤を激励しながら、現在の松商に足りないピースを「四国のダルビッシュ」と語った。
「四国の学校が勝ち上がる時は、圧倒的な投手がいた。最近だと西条の秋山拓巳(現・阪神)、済美の安樂智大(現・楽天)がそう。ただ、良い選手を獲りにいこうにも、成績の評定平均が2コンマいくつとかで……これじゃあどうにもならん」
やはり受験偏差値上昇が低迷の大きな理由だと口を揃える。それだけ選手の勧誘に苦心しているのだろう。
就任10年目の重澤は松商OBではなく、今治西高校の卒業生である。松商の歴史の中で、初めての外様監督だ。それゆえ50人以上のプロ野球選手を輩出している松商OBからの、重澤に対する風当たりは強い。
「責任を感じています。『これは松商の野球じゃない』『監督を辞めろ』と言われることもあります。それも仕方ありません。勝てていませんので。もしOB会が後任を見つけてくるようなことがあれば、私は意向に沿いますし、すべては校長に一任しています」
松商の玄関前には1986年夏の甲子園で準優勝した際の記念碑が立てられており、メンバーの名前と共に、作詞家の阿久悠がスポーツ紙に寄稿した「甲子園の詩86」が刻印されていた。冒頭の一節を引用する。
《怪童もいなければ 天才もいない 大器もいなければ 逸材もいない 目を見はる幸運児も 特別のツキ男もいない 一人一人が一人一人の役を果たしながら 巨大な歯車を回す》
松商のナインは毎日、阿久悠の詩を暗唱し、練習に臨む。重澤は言う。
「この詩にある野球こそ、松商の野球だと思うんです。今年の夏は甲子園が100回大会を迎えます。松商に出てもらいたいと思ってくださる方がたくさんいる。是非とも出場したい」
※週刊ポスト2018年4月6日号
2018年3月26日 11時0分
NEWSポストセブン
http://news.livedoor.com/article/detail/14485631/